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第五幕 描きたいもの

last update publish date: 2026-02-19 06:00:14

 夜が、僕たちを引き留めていた——

 帰りたくないと願ったのは、高瀬さんだけじゃない。

 黒崎くんの親が経営するホテルは、海から歩いて五分もかからない場所にあった。

 エントランスに入った瞬間、全員の足が止まった。

「……え、黒崎、お前ん家、金持ちかよ」

「ホテルを経営してるだけで、普通だよ」

「普通じゃねぇ」

 黒崎くんは苦笑いしながら、フロントに声をかけた。自慢するわけでもなく、ただ当たり前のように、手配をしてくれた。

 用意してくれたのは二部屋。男子と女子に、それぞれ別れる。

 まずはみんな親への連絡から始めた。

「もしもし母ちゃん? 今日は友達の家に泊まるから」

 守まもるの声が部屋に響き渡る。

 僕も早速電話をかけた。母さんは特に心配することなく、突然の宿泊を許してくれた。むしろ、初めての事態に喜んでくれてるようだった。

『迷惑かけないようにね……けど、良かったじゃない』

「うん、楽しいよ」

 これだけのことだけど、今日は全て新鮮だった。

 その後は女子たちと合流して、買い出しへ。近所のスーパーへ向かい、必要なものを物色する。

 飲み物、お菓子。トランプと着替えも手に取る。

「花火もいるだろ」

 守の一言にみんな同意し、手持ち花火もたくさん買い込んだ。

 ホテルへの帰り道、夕方の海岸線をみんなで歩く。本当なら寂しさを感じるような風景なのに、不思議とそんな気はしなかった。

「今日、楽しいね!」

 沙友里さゆりの声も弾んでいた。

「うん、何だかドキドキする」

「そうそう! ねぇ、直哉なおや」

「ん?」

「今日は……ずっと一緒だね」

 いつもよりずっと近くに沙友里を感じて、心が落ち着かない。

「そ、そうだね。みんな一緒……」

「後で二人で抜け出そ?」

「——うん」

 みんなと過ごすこの時間が、宝物のように感じていた。

 夕食は黒崎くんの計らいで、海辺でBBQに決定した。焼き台とテーブルを準備すると、みんなの熱気が一気に上がった。

 三人の男子で焼き台を囲む。炭に火をつけるのに苦戦したが、その後は順調に肉や野菜を焼き上げていく。

 どんな場面でも、守はみんなを引っ張ってくれる。僕は焼き上がった串を、テーブルに運んでいた。

「どんどん食えよ。女子からな」

「焦げてるじゃない」

「麻衣、これが男の料理だ」

 守は胸を張った。

「雑なだけでしょ」

「うっさい」

 唇を尖らせる守とは対象に、神楽かぐらさんは涼しい顔をしていた。

「ほら神楽さん、こっちはちゃんと焼けてるよ」

「さすが、黒崎くん。ありがと!」

「肉、おかわりー」

「梢こずえ、野菜も食べなきゃだよ」

 沙友里が母親のようなことを言うので、僕は吹き出しそうになった。

 神楽さんが肉を一口含んで、感動の声をあげる。

「おいしー。やっぱ、イケメンに焼いてもらうと違うわ」

「だろ?」

「あんたじゃないわよ。黒崎くんよ」

「おい」

 黒崎くんが不思議そうに言う。

「え? 相沢あいざわ、イケメンだよ」

「うん、私もそう思う」

「僕もそう思う」

 僕と沙友里は、即座に同意した。

「それに、麻衣も相沢くんのこと、カッコいいって言ってたじゃない」

「……っ! い、言ってない……」

 昼間のお返しとばかりに、沙友里は意地悪な笑みを浮かべていた。

「ほほう。さゆりん、詳しく!」

「あんたは黙ってて……」

「肉、おかわりー」

「そうね、梢! 肉取りにいこ!」

 慌てて神楽さんは席を立つ。

「逃げたな」

 守の呟きが、僕たちの笑い声と重なった。

 その場の空気が、食事の美味しさを加速させる。あっという間に食材は減っていき、残るは締めの焼きそばだけ。

 最後は女子たちが焼いてくれたので、僕は味の濃い焼きそばを頬張った。

(これも、沙友里の手料理だな……)

 限界に近い胃が、幸福感で満たされていく。

「直哉、どう?」

「美味しいよ、ありがとう」

「ホント! 良かった」

 その時、一人焼き台で格闘していた神楽さんが、小さな声を上げた。

「熱っ!」

「麻衣、大丈夫か?」

 真っ先に守が反応した。持ってきたクーラーボックスから、氷を取り出して袋に詰める。

「こんなこともあろうかと思ってな」

「……用意がいいのね」

「まぁな。どれ、見せてみろよ」

 守が神楽さんの左手を取って、顔に近づける。

「……お前、器用な場所、火傷してんな……」

「……うっさい」

 ひとまず氷で冷やすことになり、守が袋を押さえていた。

「ヘラを持ち上げたら、熱くなってたのよ」

「慣れないこと、するからだぞ」

「ホント、麻衣頑張ってたもんねー」

「そ、そう?」

「麻衣、大人しくしてろって」

 神楽さんは守から離れようとするが、左手を押さえられているので逃げられない。

「けど、ホント美味かったぜ。麻衣、ありがとな」

「……うん」

「ほら、絆創膏貼ってやるから」

「……うん。あ、ありがと」

 薬指の付け根に、守が丁寧に絆創膏を巻いた。神楽さんは小さくなって、下を向いている。沙友里のニヤニヤが止まらない。

「そういう麻衣、好きだなぁ」

「沙友里……うるさい」

「焼きそば、おかわりー」

 高瀬たかせさんの無邪気な声が、全てを飲み込んだ。

「ぷっ!」

 下を向いている神楽さんの、肩が揺れている。黒崎くんが、真剣な表情で高瀬さんを見た。

「……高瀬さんは、ずっとそのままでいてね」

「えっ? うん、そうする」

「私は変わらないよ」

 そんな二人のやり取りを、みんなでお腹を抱えて笑った。夜の海を波立たせるような、大きな声で。

「よっしゃ! そろそろ、花火しようぜ」

「やるー」

 手持ち花火に、打ち上げ花火。

 様々な火花が、まるでスポットライトのようだった。

「よし、ダンス部踊れー」

「ちゃんと、私を照らしなさいよ」

「ねぇ、写真撮ろうよ」

「あはは。これ、見てー」

「そんなに持つと危ないよ」

 光が弾けるたびに、笑みが溢れる。それを誰かが写真に収める。

 そして、また声を出して笑う。

 僕はこの光景を、記憶のスケッチブックに書き写していた。

(いつか、描きたいな……)

 どんどん描きたいものが増えていった。

「直哉、みんなで写真撮ろ!」

「——うん!」

 やがて、買ってきた花火も尽きて、暗闇に包まれる。さっきまでとは違い、みんな黙って暗い海を見ていた。

 身体の全てで、風を感じ、塩の香りを確かめているようだった。そして、穏やかな波の音は、僕の耳を占めている。

「ねぇ、みんな」

 高瀬さんの声がした。

「来年も——またやろうね」

 静かな声だった。

「うん」

 誰が答えた。みんなが答えた。その答えに、胸の奥が温かくなった。

 六人の声が、波の音に混ざっていた。

「片付けて、ホテル戻るぞ」

 守の一言で、みんな動き出す。自然に分担して作業を進めていた。

「帰ったら、ゲームだな!」

「やるー」

 守と高瀬さんは、まるで昔からの友達のように盛り上がっている。

「負けても泣くなよ」

「私、強いよ」

 二人を先頭に、ホテルへと向かう。部屋に戻ると、男子部屋でゲーム大会が開催された。

「梢っち……ホントに強いじゃねぇか!」

「そう言ったじゃない」

 カードでも、ゲームでも高瀬さんは負け知らずだった。

「ちょっと、梢。次、私と勝負して!」

「いいよー」

 元気に盛り上がる中、僕は喉の渇きを覚えた。夜は深いが、まだまだ終わりそうもない。

「ちょっと、飲み物買ってくるね」

「あ、私も行く」

「ごゆっくりー」

 守の声を背中に、扉を閉めた。

 ホテルの廊下は静かで、部屋の中との差が激しい。

「こっちだよ」

 気づいたら、手を差し出していた。

 沙友里は一瞬だけ目を見開き、ゆっくりとした動作で手を取った。

「こういうこと、無自覚でするよね……」

「ん、どういうこと?」

「何でもない」

 エレベーターで降りて、自販機の置いてあるエリアまで、ずっと手を繋いでいた。出来るだけ長く触れていたい。

「私、今日はずっと楽しかった」

 沙友里がポツリと溢した。

「僕もだよ……沙友里のおかげだね」

「えっ。私、何にもしてないよ」

「ううん……沙友里がいたから、だよ」

 繋いだ手は少しだけ汗ばんでいて、今日の暑さを思い出した。

(満たされてる……)

 僕が肩を寄せると、沙友里もそれに応えてくれた。館内は少し肌寒いが、触れているところだけは温もりを感じた。

「こんなに……私、幸せでいいのかな?」

「どうしたの?」

「今すごく、満たされてるから」

「——」

 沙友里の頬は、ほんのりと赤かった。そのまま、もたれかかるように、僕の腕に顔を寄せた。

 沙友里の触れている場所が一番熱かった。

 部屋に戻ると、まだみんなの熱は冷めていなかった。

「梢っち、もう一回勝負してくれ!」

「いいよー」

「相沢、諦めも肝心だよ」

「梢……もう寝ようよ」

「やだ」

 高瀬さんは、高らかに宣言した。

「帰りたくない」

 その言葉に、また全員が笑った。

 夜は、まだ終わらない。僕たちが、こうしていられる時間も。

——ここからは、直哉の知らないお話。

 真夜中のホテル。

 熱いゲーム大会も、そろそろ鎮火し始めた頃に、守は一階の自販機の前にいた。

 身体で燻り続ける熱を下げるように、買った水を流し込んでいる。

「一気に飲み過ぎ……」

 守が声のした方へ顔を向けると、壁を背にして立っている麻衣がいた。

「しょうがねぇだろ、喉乾いたんだから」

「まったく」

「それより……火傷は平気か?」

「大丈夫」

 麻衣の返事に「そうか」と呟き、守の目尻が下がる。麻衣はそっと息を吐き、腕を組んだ。

「……ホント変わらないわね」

「そうか? 最近は割と、変化を楽しんでるぜ」

「何よ、それ」

 麻衣の顔が綻ぶ。

「まぁ、変わらないものもあるけどな」

「そう、ね」

 足を曲げ、麻衣はその場で腰を下げた。

「ねぇ……まだ、好きなの?」

「もうとっくに、諦めてるっての」

「……嘘つき」

「ん? 何て言った?」

 麻衣の囁きは、守の元まで届かない

「何でもない」

「変なやつだな」

「うるさい」

 最後の一口を飲み終わり、守は空のペットボトルをゴミ箱に捨てた。

「じゃあ、俺は戻るぜ。麻衣は?」

「私も……何か飲んでから戻る」

「そか、なら先に行ってるぜ」

「うん」

 守の背中が、麻衣から遠ざかっていく。振り返ることはなかった。

 一人残された麻衣は立ち上がり、左手を開いた。薬指には、守が貼ってくれた絆創膏が残っている。

 それを、そっと指で撫でた。

「……ばか」

 麻衣の声は、誰にも聞かれていない。

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